中央大学といえば、法律分野や駅伝で名高い大学ですが、その歴史やキャンパスにはまだあまり知られていない秘密が隠れています。今回は、そんな中央大学にまつわる意外なエピソードや知識を8つのポイントにまとめてご紹介します。これを読めば、きっと中央大学の新たな一面に気づけるはず!
昔は全学部が東京の中央にあった
かつて、中央大学のメインキャンパスは御茶ノ水にありました。正確には千代田区神田駿河台。ここに、多くの文系学部が設置されていました。
現在も中央大学は御茶ノ水に法科大学院とビジネススクールが入る「駿河台キャンパス」を持っていますが、この場所も旧駿河台校舎の一部でした。旧駿河台校舎は写真に示すあたり一体に存在し、現在は三井住友海上のビルが建っています。しかし、学生数と学部数の増加に伴って校舎が手狭となったため、文学部と工学部は後楽園校舎(水道橋駅付近、現存せず)で授業を行い、運動場は富坂校地(現在の後楽園キャンパス)に確保されていました。それでもやはり手狭になり、法改正により校舎が基準を満たさなくなったことも相まって、中央大学は1・2年生のみを多摩キャンパスとする方針で多摩の広大な土地を購入しました。ただし、後に紆余曲折を経て結局文系学部全学年が移転することになりました。御茶ノ水と水道橋に残された土地は、多摩キャンパス建設時に建築資材の高騰などを受けて売り払い、その資金に充てられました。
かつては司法試験で東大と競り合っていた
今は昔、中央大学が千代田区神田駿河台(御茶ノ水付近)に校舎を構えていた頃、中央大学は東京大学と司法試験合格者数で熾烈な争いを繰り広げていました。その様子は各所で両校の校名の頭文字をとって「中東戦争」または「東中戦争」と呼ばれていました。
中央大学は当時、御茶ノ水に校舎があって学費も安いことで有名で、1951年からは20年連続で司法試験合格者数トップを独走していました。当時の新聞には、司法試験の問題が東大の授業内容に似ているとして中大生が抗議したという記事もあり、中央大学のシンボルである「白門」も明らかに「赤門」に対抗したものでした。しかし、1978年に文系学部が御茶ノ水から多摩へ移転したのを機に、中央大学の司法試験合格者数はやや低迷し、現在に至ります。2023年に法学部が文京区茗荷谷へ、法科大学院が伝統の地・千代田区神田駿河台へ移転したことをうけ、再びトップの座に返り咲くことが期待されています。
中央大学は東京大学になりかけた
中央大学はこれまで何度か校名を変更して現在に至りますが、その過程で一度「東京大学」になりかけたのをご存知でしょうか。
中央大学は元々「英吉利(イギリス)法律学校」として法学部のみの単科大学でスタートしました。その後医学部や文学部を設置することを目論んで「東京法学院」へと校名を変更します。医学部設置の話は別記事で紹介しています。この計画が頓挫し、再度校名変更を行うことになったのですが、その際に文部省に提出した校名が「東京大学」でした。実は当時は現在の東京大学は「東京帝国大学」に改称されていたため、名前が重複する学校はありませんでした。しかし、流石にこれは紛らわしすぎると当時の文部省からお叱りを受け、結局「中央大学」という校名に落ち着いたのでした。
校名の「中央」に込められた意味
中央大学の「中央」の意味を意外と知らない中大生も結構いらっしゃるのではないでしょうか。実は、校名の「中央」には様々な意味が込められています。
写真は千代田区神田駿河台にある、中央大学の旧駿河台校舎があった場所に設置されている記念碑です。この記念碑には校名について次のように書かれています。
この校名の由来は学術の中枢たるべきを期したものであり、同時に所在地の神田が東京の中央、日本の中央であるとの意を含むものであった
また、この他に中央大学の前身である英吉利法律学校の創設者の何人かが留学して法を学んだとされるミドル・テンプル(邦名:中央法院)から「中央」をとったとする説もあります。
かつては箱根駅伝強豪校だった
中央大学はここ数年は不調の時期が続いていますが、かつては箱根駅伝の強豪校でした。
現在でもこれまで101回行われてきた箱根駅伝において、最多出場(98回)・最多優勝(14回)の座は中央大学が占めています。
第99回大会では総合2位、第101回大会では往路2位と、近年古豪復活の兆しが見え始めており、これからの中央大学の躍進に期待が高まっています。
茗荷谷キャンパスと後楽園キャンパスは意外と近い
多摩キャンパスと都心キャンパスの地図を重ね合わせると、こんな感じ。つまり茗荷谷キャンパス〜後楽園キャンパスをの距離は多摩キャンパスを端から端まで歩くのと同じぐらいの距離なのです。
まぁこれを見て茗荷谷キャンパスと後楽園キャンパスが近いと思うか、多摩キャンパスが広いと思うかは人それぞれかもしれません。
理工学部の地下には巨大実験場がある
中央大学後楽園キャンパスは理系キャンパスにしては立地が大変良いわけですが、如何せん都心のため敷地面積が限られおり、大規模な実験設備は3号館の地下に設置されています。
最も有名なのが、都市環境学科の研究室が保有している津波再現水槽。よくテレビでリポーターが津波体験を行う映像が撮られるときは、だいたいここで撮影されています。
また、それだけでなく高電圧放電を行う電気電子情報通信工学科保有の電力工学実験室なども同フロアに存在します。
これらは通常学部生が出入りすることができないためあまり知られていません。オープンキャンパスや理工白門祭で行われる研究室公開で見学することができます。
将来はメインキャンパスが後楽園になるかもしれない
現在の中央大学のメインキャンパスは紛れもなく多摩キャパスですが、将来的には後楽園キャンパスがメインキャンパスになる可能性があります。
中央大学が毎年Webサイト上で公表している「自己点検・評価報告書」では、次のような記述が含まれています。
将来的な展望として、法学部のほか、現在は多摩キャンパスに所在する文系学部、市ヶ谷田町キャンパスに所在する国際情報学部のいずれか、あるいは複数を、後楽園キャンパスおよび周辺に移転させ、移転学部と理工学部によって文理融合拠点を形成する方針等を次期の将来構想として検討することが、初期の構想に合致し、将来の開けた展望となる
引用元:自己点検・評価報告書 2023 p153
実は法学部がある茗荷谷キャンパスは、中央大学の土地ではなく現在も区有地であり、40年間(10 年間の延長可)の定期借地として中央大学が使用しています。そのため、期限満了を見据えて後楽園キャンパスの拡張を見計らっていると考えられます。
現在は立地で大学の人気が大きく変わる時代、後楽園キャンパスに近接した小石川キャンパスの土地を取得し、簡易的な体育施設を建てているのもこれらの布石かもしれませんね。
まとめ
今回は、中央大学に隠された8つの秘密をお届けしました。普段何気なく過ごしている我が中央大学にも、意外な歴史やエピソードが詰まっていることに気づいたのではないでしょうか。これを機に、中央大学の魅力をさらに深く知り、学生生活をより豊かに楽しんでいただければ幸いです!
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